家族が私にダサいと言う。本書を読めばダサさの原因を理解し回避すればオシャレになると考えた。
読み終えても以前と同じ服を着ている。ファッショニスタになるためのハウツー本では無かった。期待した効用は得られなかった。私はこの本からいったい何を学んだのか。
本書は二項対比を基本形として服装について語っている。時代、思想、年齢など7つのテーマを持つ。ダサさの境界は評価者に依存する。テーマごとに7つの境界がおぼろに存在するというのが本書の主張だ。
ダサいの指標は没個性であったり、労働者色の強さであったり、はたまた無思想であったりと、油断すれば我々はすぐにダサくなる。全方位に気を張っていなければ何かがダサい。トドのつまり完全無欠のオシャレは無理ゲーという。
加えて「ダサい」という言葉の強烈なdisり力に言及する。ときに服装のみならず生き方さえ否定する。昭和から生き続ける呪いの言葉なのだ。
しかし筆者はダサいを否定しない。フード付きスウェットのパーカーを例に変革のドライビングフォースとして歓迎する。
最終的には着用者がダサさの相対的な座標の認知可能であることを前提に、着用背景や意図を理論展開できることが建設的態度であり、ひいては服装の自由を手に入れると主張している。
私は機能至上主義でいこうと思う。桂正和のDNA2に出てきたプーポンやムーニョンを使ったプロテクターも空調服で近いところまで再現されているし、機能美が最優先やと思う。





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