嫌な思い出を蒸し返すのはなぜ?

ひとりのときは嫌な思い出を蒸し返し胸糞悪さを追体験する。

過ぎた事を、今さらどうにもならないことを、なんとも生産性のない無意味なタイムスリップはただの癖(へき)なのか生きる術(すべ)なのか、あれやこれや考えてみた。

ひとまずの結論はでた。人間が幸せを感じるために備わった機能ではなかろうか。幸せの無いところから幸せを作り出す錬金術ではなかろうか。

人間が感じる幸せの度合いは絶対値ではなく相対値。今の状態からの差分。ΔH(Happy)であると、私は事あるごとに申しています。

この理屈では、平時に幸福度を下げておけば少しのハッピーイベントで心が幸福で満たされます。

例えばボロカスに心が傷ついたとき何気ない人の優しさに心救われる。なんて出来事はΔHがデカい。何気ないくせにめちゃんこハッピー。

だから清貧を良しとするのは生活の知恵。ささいなイベントでΔHを大きく取れる。「やったー!今晩鶏の唐揚げだ!!」なんてね。

幸福度が天井に張り付いてると不幸は感じないけど並の出来事ではΔHを取れない。唐揚げ毎日は辛い。幸福度のインフレだ。コスト計り知れず。

そんなこんなで、恒常的ハッピー(AH:anytime happy)は存在しない。そう見えるだけ。観測者のHが低いだけ。AHに見える彼らは彼らなりにΔHを探し回っているよ。

だからおっきなΔH(BH:Big ΔH)を獲得でるよう自分の状況に合わせて戦略を打ち立てよう。まわりと同じじゃ最大化できないよ。

ここまで読んだら人と他人を比べることの無意味さに気づくだろう。きみのとアイツはそもそも違う。同じ事したって同じ気持ちになれない。思ったほどΔHを感じないだろう?

この理屈、自ら不幸に走るひとの説明も可能。DV夫、借金肩代わり、悪徳宗教、、そこまで落ちれば日常に戻るだけでBHを調達できる。

そーゆーわけで今日もぼんやり昔を振り返る。

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